現代文明は、どのようにして誕生するようになったのでしょうか?それは、物事の価値を決める判断基準の衝突による「価値戦争」によって理解することができます。
今の世の中は、人間にせよ、商品・サービスにせよ、どちらの価値が高いかを争う価値戦争をしている状態と観ることができます。問題解決能力が高いものには高い価値が認められるので、商品・サービス・人間自身の価値を上げるべく様々な試みがなされてきました。
しかし、幸せや成功が目的の人生では、幸せや成功は得られません。お金がない、仕事がない、パートナーが居ない、人間関係が辛いなどは、すべて本質的な問題ではありません。現象を観て、ある・ないと思っている世界です。では、本当の問題とは何でしょうか?
人間にとって根本的な問題とは、「自分」と「自分の宇宙(自分が認識している世界)」が完全に消化(ゼロ化)できないことです。
人間が世界を認識する際、誰しも判断基準が働きます。その判断基準は皆違い、しかも不完全です(五感覚は部分しかとれないので)。生まれ育った環境によって人それぞれの多様な判断基準が形成されますが、誰もがその判断基準によって観点が固定されている状態で出会う為、常に摩擦・衝突・葛藤が生まれ、自分の脳の中のイメージと実際に認識している画面にギャップが生じ、これを消化できなければストレス・プレッシャーが溜まる要因となっていきます。
では、この観点固定の状態から出発した人間は何を考えるようになるのでしょうか?
人間の脳には、
①物事を分けてとり
②部分だけをとり
③違いだけをとって
④過去の経験とつなげて
⑤現実の認識画面をつくる
というメカニズムがあります。
人類はこれまでに脳と五感覚が認識する存在や現象に名前を付け、その単語を記憶してきました。その対象が「AだったらBするものである」(例えばワイングラスとはワインを入れて飲む器である)というように論理・因果関係を覚えて蓄積し、個々に覚えた単語同士の関係性や概念を組織化・構成化することで学問や理論を発展させてきました。(机とグラスと氷とジュースの関係を覚えることで、机の上にグラスを置き、グラスの中に氷を入れ、その上からジュースを入れるなど。当たり前のようですが、グラスの上に机を置くということはあまりしません。)
こうして単語と概念を覚え、因果関係を結びつけて論理や学問を発展させ、人類は知性や理性を獲得してきました。
ところが、覚える世界を続けてゆけば、自ずと思想・哲学が芽生えます。ワイングラスに日本酒を入れて飲むのも乙ではないか、とそれまでとは異なる価値を判断する思想が生まれ、様々な現象を認識するなかである一定のパターンや秩序を見出す哲学が生まれてきます。
これら思想・哲学にアクションが加わると理念と呼ばれ、企業理念や経営理念などのように、何かしらの活動と結びついて特定の思想・哲学を実践する動きが生まれてきます。一人の人間が抱く理念を2人、3人と大勢の人が組織的に行うようになると、それはイデオロギーと呼ばれ、○○主義に象徴されるように特定の組織の信念形態を意味するようになります。
イデオロギー(一定の集団や組織がアクションを伴った思想・哲学)が100年、1,000年と続けられるようになると、それは信仰や宗教とみなされ、企業活動においては、経営理念を実践する集団の行動が商品や技術を生み出し、市場占有率を上げる方向性へと導かれていくことになります。
この信仰や宗教を続けた先には、言葉を超える世界(悟り、霊性、瞑想など)がありますが、知性と理性を獲得した人類が、思想・哲学を超えて実践してきた個人は自信感を獲得し、いつの時代にあっても夢や理想を抱くようになります。
夢や理想を得た人物が現実を観れば、この社会を変革したいという意志を持つようになり、それまでの時代の常識を破壊する行動に突入することとなるのですが、殆どの挑戦者はクレバスに落ちて抜け出せない状況に立たされてきました。
※クレバスとは、氷河などの自然地形にできる深い割れ目。雪などで覆われて見えないことが多い。
そこには、①どんな学問や論理でも、認識画面に依存した部分的特性による特殊な見解・解析でしかなく、また②知識人自身が完全イメージと完璧に融合しない状態で社会変革や周辺変革に取り組む為、③プレートに固定されて、時代のパラダイムを突破できないという原因があったのです。
農業社会のプレートから産業社会のプレートに移ったものの、そこに固定されている状態では判断基準の問題を突破できないので未来像や生き方の摩擦・衝突が絶えません。観点固定の問題を解決し、疎通交流が可能な未来の感動社会プレートにシフトする必要があるのです。
これまでは言語と現象・存在の対称を共有できた為、それぞれの単語の持つ共有化されたイメージや概念を道具に交流ができてきましたが、例えば「○○はやってはならない」や「これが絶対的な真理だ」というような精神・倫理道徳・当為・真理に関する言語では、同じ単語をつかっていてもそれぞれにイメージする概念が異なる為、互いの頭の中のイメージを共有することができず、疎通交流も不可能でした。その為、この4次元の世界を説明する既存の言語ではない、まったく新しい5次元イメージ言語が必要なのです。
疎通交流がおきなければ新しいアイデアや知識も生まれず、感動やショックを生み出すこともできません。これまでにないような感動やショックが出てこないので、消費活動も次第に冷めてゆき、結果、モノを買わないからお金が循環しない、不景気で不健康な現在の世界が生まれるようになってしまっているのです。
判断基準の問題を突破することができ、疎通交流が成功すれば、魂とイメージ感覚を道具に新しい感動パターンやショックの連鎖を生みだすこともでき、結果的に商品・サービスの循環がおきて、社会の血液であるお金の循環も良くなってゆきます。
こうして、観点固定の問題から文化文明の根茎葉花実種スキマに至る各ステップで、循環が悪い状態から、観点の次元上昇を通して循環の良い状態・文化文明へと変化してゆくことが可能になります。
それが一体、どのような文化文明なのか?については、また次の機会に掲載させていただきます。
NohJesu


