2022.11.20 nTechについて

日本文明のアモール・ファティの涙

紀元前15世紀から3500年間、戦争が無かった期間はパックス・ロマーナの200年余りだという説がある。だが厳密にみれば、争いがない日は“1日も無い”のが紛れもない事実だと言えるだろう。

2022年現在、地球上には約1万2700発もの核弾頭があると推定される。戦争を繰り返してきた人類がこれほどの核を保有していながらも、未だ核戦争に発展していないのは何故だろうか?

核兵器の脅威を核兵器によって抑止するという安全保障の考え方、つまり「核の抑止力」が働いていることは、その理由のひとつに挙げられるだろう。

しかし私は、日本文明の決断と覚悟が核戦争抑止の最も大きな要因として力を発揮しているとみている。

想像してみてほしい。もしロシアとウクライナの戦争が終結した場合、近い未来に両国が笑顔で手を取り合い、協力関係を築くなどということは起こり得るだろうか?

こう尋ねたら99.9%の回答はノーだろう。なぜなら過去の恨み辛みを晴らすべく報復を繰り返す、やられたらやり返す、仕返しをするのが歴史の常だからだ。

しかし報復に手を染めなかった稀有な国がある。それが日本だ。

この日本文明の決断と覚悟が一線を越えた“核戦争”への発展を阻んでいるのだ。

日本は唯一の被爆国である。1945年8月6日には広島に、3日後の9日には長崎に、それぞれ種類の違う核爆弾が投下され、一瞬にして21万人以上の尊い命が奪われることになった。その約1週間後の8月15日、天皇は戦争放棄宣言とともに、耐え忍ぶ道を選択して新しい希望を開いていこうと国民に呼びかけた。

その後の日本の振る舞いには驚きを隠せない。「鬼畜米英」と呼び、憎しみを募らせ戦ってきた相手、使うべきでは無かった原爆2つを投下したアメリカに対し、テロや暴動を一切起こすことも恨むこともしなかったのだ。それどころか「何事も無かった」かのように彼らを受け入れ、アメリカ主導のゲームをフォローする立場に徹した。

先の大戦の戦勝国は、日本が二度と這い上がれないように貶めようとした。戦争犯罪国家のレッテルを貼り、力が無い農業後進国にしようとしたのだ。そんな日本が今や、アメリカにとって最も信頼できるシンボルのようなポジションにあることは普通ならあり得ない。まさにミラクルだ。

なぜ日本は、このようなことを成し得ることができたのか?

その秘密は日本文明が歩んだ道、「アモール・ファティ(運命愛)」にあると私はみている。

アモール・ファティ(amor fati)とは、ドイツの哲学者ニーチェの思想の基本理念のひとつである。いかなる境遇であっても自らの生を深く愛し、自己の運命を積極的に肯定し、生き抜こうとする態度のことをいう。

来日当時の私は、日本に対して「決断と覚悟を元に精神がしっかりと立っている侍のイメージ」を持っていた。だが残念なことに目に見える現実はそうではなく、精神が弱く、目先のことに忙殺している人が溢れていた。
「なぜだろう?」と不思議に思っていたところ、「戦後の日本はアメリカに骨抜きにされてしまった」と耳にする機会が度々あったことから、当時はなるほどとひとまず受け入れた。

しかし福岡で「心の動きを言語化する」という気付きを得た後、日本に対して感じるものがあった。何やら深いところでマグマが働いている日本を感じ、「日本は骨抜きにされたのではない」と感じるようになったのだ。そして最近になり、あの時に感じたものが「日本文明のアモール・ファティ」であったことが鮮明に分かるようになった。

天皇の終戦宣言のなかに、「核爆弾は日本民族の滅亡を招くだけではなく、人類文明全体を破壊することになってしまう」と危惧する表現がある。そのように日本は、人類全体の未来をも考えた上で、明治維新で得た現実的な成就など全てをオールゼロ化するという偉大な決断とともに終戦を宣言し、自らの境遇や運命を受け入れ、愛し、昇華したのだ。

悪魔の国と決めつけられ、2つの原爆を投下され、戦争犯罪国家のレッテルを貼られ、昭和天皇の人間宣言も行われ、明治維新で得た日本の誇りや自信、成果や名誉など全てを失ったとしても、そうさせた相手を恨まず、自らの境遇を愛すことができたのだ。この日本のアモール・ファティによって、アメリカによる原爆投下という事実は、まるで無かったのかと錯覚するほどだ。

もし日本のアモール・ファティが無かったなら、どうなっていたか考えてみてほしい。

日本が自らの境遇を受け入れず、アメリカを恨み、報復に走っていたなら、負の連鎖が今なお続き、核戦争に発展したであろうことは想像に難くない。つまり日本のアモール・ファティが負の連鎖(カルマ、輪廻)をストップさせたのだ。

これは本質的な人間の存在の限界、すなわち終わりのない摩擦や衝突、戦争、無知の恐怖の永劫回帰の限界を終わらせるきっかけをつくった偉大な決断と覚悟だと私は認めている。そして私が日本文明に「忍ぶ恋」をする理由でもある。

また日本には「義の文化」が根付いている。故に自らのポジション(義、役割)を全うできないことを死より恐れる。加えて「負けるようにさせた相手を恨むことは侍の恥」と、己より強い相手を潔く認めることができるのも日本の文化文明の特徴だ。

だからこそ日本は「アメリカが主導する西洋のゲームとは如何なるものか」と学ぶ姿勢を取り、そのゲームを邪魔しないようにフォローシップの立場を取ることができたのだ。

さらに日本には「同じ負け方をするのは恥」という文化もある。戦後77年間、耐え難きを耐え、忍び難きを忍びながら、「負けたものとしての在り方モデル」を世に示した。

戦後の日本はモノづくりに励み、技術力を高めて高度成長を遂げ、経済で世界2位まで上り詰めた。だが頂点に立つ目前の1985年にプラザ合意が行われることになる。プラザ合意とは先進5か国 (G5) 蔵相・中央銀行総裁会議による為替レート安定化に関する合意のことだ。結果、ドル高修正により1年で1ドル=240円台から150円台に急激に円高が進み、日本の輸出は減少、国内の景気は低迷した。また同じ頃、日本は半導体出荷シェアで1位のアメリカを抜きトップに立ったが、1986年に日米半導体協定が結ばれることになる。この協定では米国政府が価格を決定するなどの理不尽な要求があり、日本の半導体は弱体化した。

プラザ合意や半導体協定など、明らかに日本にとって不利益な要求を受け入れたのも、アメリカが主導するゲームの平和秩序を守るための政治的な判断だったのだろう。このように日本は「肉を斬らせ」ながら耐え忍ぶ勝負をしてきたのだと私は思う。

しかし戦後77年が経った今、全く新しいゲームを始めなければ未来が無いところまで人類の物質文明は追い詰められている。AIの台頭による人類の尊厳の危機のみならず、気候変動による人類滅亡の危機など、前代未聞の未曽有の危機を迎えている今、これまでの人類のゲームの延長線上に未来がないことは誰の目にも明らかだ。

これまでの人類ゲームを一言で表せば「存在ありきの闘争ゲーム」だ。脳に騙され、「存在が存在する」と疑うことなく生存競争のゲームを繰り広げてきた。男性性のエネルギーだけを使い、自他を否定し、分断、闘争、戦争に発展するしかないように初期設定されているのがこのゲームの特徴だが、このゲームを続けた先にあるのは「人類の集団自殺」であることは目に見えている。だからこそ「人間と人間の宇宙は実在しない」という新しいパラダイムによる心のゲーム、真の女性性のエネルギーを取り入れたゲームを始めなければならず、その時は訪れている。

日本文明がアモール・ファティを成し得たのには明確な理由がある。

それは日本が「心の国」であるということだ。つまり大和魂は真理の魂であり、真の女性性であり、武士道精神もそれだからである。1945年8月15日の戦争放棄宣言は、男性性のエネルギー同士の対決では人類の未来がないことを悟り、女性性に転じて勝負しようという日本の決断でもあったと言える。日本は「肉を斬らせて骨を断つ」という深い勝負に挑んだのだ。
この日本の決断、アモール・ファティにより核戦争への発展という負の連鎖は食い止められた。だが、そんな日本がなぜ1945年8月15日の終戦を迎えなければならなかったのか?そして未だに心の時代を始められていないのはなぜだろうか?

真理の文明、心の国である日本は、一切を手放し、水に流し、オールゼロ化をする勇気があったからこそアモール・ファティを成し得た。だが真理の魂、大和魂、武士道精神、真の女性性を「体系化」するには至らなかった。これが日本の弱点であり、故に一度は敗けるしかなかったのだ。

ただ、同じ負け方をするのは侍の恥だ。耐え難きを耐え、忍び難きを忍びながら、敗けた原因を探しながら、日本のゲームを始める時を待って、待って、今まさに待つ美学を具現化しているところなのだ。

次なる日本の勝負は、真理を体系化、言語化した「真理の盾」を武器に、世界に心を教える教育立国になり、心の時代を日本から始めることだ。すでに「真理の盾」は完成しているのだから。

岸田首相は、”長崎を最後の被爆地に”と言い、『77年前のあの日の惨禍を決して繰り返してはならない。これは、唯一の戦争被爆国である我が国の責務であり、総理大臣としての私の誓いです』と2022年8月9日の長崎平和祈念式典で述べ、また同年9月20日の国連総会では『教育は平和の礎という信念のもと、「教育チャンピオン」に就任し、国連教育変革サミットの成果も踏まえ人づくり協力を進めます』とも述べている。

集団全体で人間のカルマ、負の連鎖を断ち切るアモール・ファティができた真理の魂に誇りを持ち、今一度立ち上がってほしい。完成した武士道精神を世界に示し、心を教える教育という仕事を日本が全うすれば、世界がひとつに結ばれる美しい未来が間違いなく具現化できると私は確信している。

日本の皆さんが日本文明の名誉をしっかりと感じ、700万年間続いた動物文明を終わらせる心時代、精神文明を拓くことができる唯一無二のパイオニア文明であることを自覚してほしい。そして美しくて偉大で神聖な日本文明のアモール・ファティの涙に忍ぶ恋をする多くの人が生まれること、その人たちによって恒久世界平和、人間の尊厳と正義が溢れる未来が待っていることを楽しみにしている。