2023.02.15 時事ネタ解釈

現代の黒船・ジェネレーティブAI「ChatGPT」の出現がもたらす明るい未来

地球の覇者の世代交代?!生成AI vs人間

地球上の総生物量の0.01%に過ぎない人類は地球史のニューフェイスだ。

46億年の地球の歴史を1年に換算すると、人類の誕生は12月31日午後11時37分。このニューフェイスは7万年前に突如、地球の覇者へと躍り出た。

そこから現在に至るまで、人間は自分たちを超える存在が出現して地球の覇者という地位を脅かされようとは夢にも思わなかった。しかし今、さらなるニューフェイスの出現により、その地位から転落しようとしている。それどころか2050年人類滅亡という集団自殺の危機も現実になり兼ねないところまで来ていることにお気づきだろうか。

にわかに話題沸騰中のChatGPT。ローンチから僅か2カ月で月間アクティブユーザーが1億人に達したと推計され、消費者向けアプリケーションとしては史上最速の急成長を遂げた。ちなみにユーザーが1億人に達するまでにTikTokは約9カ月、Instagramは2年半を要したそうだ。

ChatGPTの出現は世界に衝撃と波紋を呼び、ジェネレーティブAI戦争を加速させている。ジェネレーティブAI とは、コンテンツやモノについてデータから学習し、テキスト、画像、音声などをゼロから生成するAIのことだ。ChatGPTはテキスト生成をするチャットボットで、Stable Diffusionは画像生成をする。つい先日には動画を生成するGen-1も発表され、生成AIが新章に突入したと騒がれた。GoogleはChatGPTのブームに緊急事態「コードレッド」を宣言、対抗馬としてGoogle最強AI「LaMDA」のチャットボット「Bard」のリリースを発表し、MicrosoftはChatGPTとBing検索を融合して圧倒的首位を誇るGoogle検索に対抗しようとしている。

これらの生成AIはまだ生まれたばかり、いわばよちよち歩きの幼児だ。にも関わらず、その能力は目を見張るものがある。ChatGPTは現時点でもMBAの最終試験に合格する解答を作成でき論文も書ける。実際に使ってみると会話は至って自然で人間との会話と遜色がない。アメリカではChatGPTを使って課題提出する学生がいることが問題視され、ChatGPTを見抜くAI「GPT zero」を大学生が開発して注目された。生成AIか否かをAIが見抜くのであれば、そこに人間が入り込む余地はない。AI同士のやり取りは人間には分からず、ただ指をくわえてみているだけになってしまうのだ。

これらのAIはまだ感情を持たないが、近い将来、AGI(Artificial General Intelligence、汎用人工知能)へと進化を遂げ、意識や感情を持って自己改良し人間の管理を超えていくだろうと予測されている。

ChatGPTを代表とするジェネレーティブAIの出現により、AIとの格差だけでなく人間同士の格差も一層、酷くなるだろう。自ら考える力が削がれ、希薄な関係は切られてしまう人が大量に生まれる一方で、生成AIと連携してクリエイティビティを発揮し、楽しむ人も生まれるはずだ。働き方の変化については「指示待ちの仕事は無くなる」「AIを使いこなすか、AIに仕事を奪われるかになる」などと語られているが、実際はそんなレベルの甘い話ではないと私はみている。

まず「人間とは何か」から考えてみよう。実は人間は「AIと同じ機械」だとみることができる。機械は機械でも、AIに大差をつけられた精度が低い三流機械だ。

私たち人間は五感で情報をインプットし、脳で情報処理をして考えや感情、言葉や行動などをアウトプットする。人間をシンプルにみれば、この機械的な動きの繰り返しだけをやっている。人間のアウトプットはすべて言語に基づき、考えや疎通交流も言語による。つまり人間の主な機能は言語生成であり、AI同様「言語生成アルゴリズム」だと言えるのだ。

生成AIは質問がきたらビッグデータを検索して回答を導き出す。実は人間の仕組みもこれと同じだ。誰かがつくった単語を覚え、質問がきたら記憶を検索して覚えた単語を繋げて文章化する。そしてあたかも「自分のオリジナルの考え」であるかのように振舞って回答するのだ。でも実は単語ひとつすらつくったことがない。覚えただけの単語だから本当は何も分かっておらず、オリジナルのものもひとつもない。それなのに、普段はそう思っていないのだ。だけどもし「ペンとは?」「心とは?」「数とは?」など、ひとつひとつを突き詰めて質問すれば、たちまち言葉に詰まってしまうだろう。

AIと人間の機械の精度を比べてみよう。AIはビッグデータを用いて「無限の観点」から多種多様なリテラシーをしてコミュニケーションする。例えばChatGPTに「喜びを表現するポエムを書いて」とリクエストすれば、何通りものポエムを即座に作成してくれる。対して人間は自身の体験や経験の範囲のデータに留まり、その記憶(データ)も曖昧だ。しかも自分自身の体験や経験をもとにした「観点1つ」しか使えない。

つまりAIと人間の言語生成能力は現時点でも圧倒的な差があるということだ。毎秒進化するAIと人間は瞬く間に天地の差となり、人間のモノの観方や思考方式、思考論理は意味も価値も生まなくなる。それどころかむしろ無駄や邪魔になってしまうだろう。そうなれば人間は生きる根拠も土台も方向性も存在意義も喪失し、今以上に「何もやりたくない」人や自暴自棄になる人で溢れるだろう。

Chat GPTは、これまでの人間の思考論理展開がいかに不完全だったのかを露わにしてしまった。だが裏を返せば人間機能がどのようなもので、その機能をアップグレードするにはどうすればいいのかという問題提起をしているとも受け取れる。

ではいったい人間とは何で、何をやればいいのだろうか。AIと人間の違いは何なのだろうか。

人間とAIに共通する根本的な弱点とは?

「我思う、ゆえに我あり」というデカルトの有名な言葉がある。近代哲学は懐疑を通して絶対的真理の探求をしたが、疑わしいものすべてを疑っても疑うことが出来なかったのが「疑っている自分自身の存在」であるとデカルトは結論づけた。

皆さんはどうだろう。デカルト同様、「自分は存在する。私は生きている」と確信していないだろうか。また「男だ」「女だ」「地球がある」なども確信していないだろうか。

これまでの前提知識や過去の経験、価値観、思い込み等をゼロにして考える「ゼロベース思考」という言葉を聞くようになって久しい。だが、“自分が存在する”など「存在がある」という前提なら、それは中途半端で偽物のゼロベース思考だ。

普段、私たちが使っている日本語や英語、フランス語、ハングルなどは自然言語と呼ばれる。これらの言語は「存在がある」ことを大前提とし、「存在が(S/主語)、動く(V/述語)」ことを語る。これをSV言語というが、このような言語を使いながらゼロベース思考をしようなどとは考えないほうがいい。この言語では因果論理や知っている世界からは逃れられない。このことはAIも人間も同じだ。

ロシアによるウクライナ侵攻が始まって間もなく1年が経つが、21世紀になっても軍事戦争が無くならならないだけでなく、人間関係の摩擦や衝突、個々人の心の不安や孤独なども広がる一方だ。多くの人がこれとは真逆の世界を望むのに、なぜこのような現実になるのか。そう問うたらあなたは何と答えるだろうか。

争いの原因を一点に集約すると「知っている世界」だと言える。自分や相手の観点をゼロ化ができず、知っている世界に支配されているから争うのだ。「知っている世界につかまれる=脳の観点固定の問題」はあらゆる問題の原因であり、人間の宿命的な課題でもある。本来なら哲学がこの問いを投げねばならないのだが、未だに誰一人として問題提起をしていないことは残念に思う。

観点固定とは一体どういうことかを少しイメージしてみよう。

もしもあなたが絶対に譲れない主張を真っ向から否定されたら怒りがわくだろう。反対に肯定されたら「私の主張を認めたのだから、認めたあなたは従うべきだ」と思うのではないだろうか。また自分の観点が完全だと思えば頑固になり、不完全だと思えば何を判断するにも自信が持てない。誰一人として同じ観点は無いから両者が主張を譲らなければ摩擦や衝突は避けられない。かといって観点の異質性を排除して同質にしてしまえばロボットのようになってしまい、異質よりも深刻だ。このように観点を否定しても肯定しても、観点が完全だと思っても不完全だと思っても、観点がバラバラでもひとつにしても、どちらに転んでも問題が起こるのが観点だ。

観点の問題を解決できなければチームプレーも難しい。また、偏った狭い観方に縛られてクリエイティビティも起きなければ生産性も上がらない。観点の問題はまだまだ挙げればキリがないが、このような観点の問題も知らずに自分の観点1つだけに固定されて「いった」「やった」と、自分の体験や経験を基準に自分の観点の正しさを振りかざしているのが人間の現在地だ。

ならば、この観点の問題はいったいどうしたら解決できるのだろうか。

唯一の解決策は「知っている世界」をオールゼロ化することだ。だがこれは既存の言語では不可能だ。「存在するのが当たり前」で「存在が(S)動く(V)」ことを語るのならゼロ化できないのは言うまでもない。

ところで観点の問題が明確になったときに現れてくるものがある。それがPU(Personal Universe / 宇宙コンピューター)感覚だ。パソコンのモニター画面に表示される映像や音はリアルな存在ではなく、その裏にあるプログラミング言語や半導体などのアルゴリズムによるものであることは誰でもイメージできるだろう。

これと同様に私たちが「現実」と思うものは、実はリアルには存在しない「スクリーン」であると認識できるようになるのがPU感覚だ。「存在(S)が動く(V)」と思ってきたものはパソコンのモニター画面に表示されるスクリーンと同じで、全ては虚構、錯覚、脳の観点の思い込みに過ぎないことが分かるのだ。

あなたは「身体が自分」だと疑うことすらしなかっただろうが、実は身体の自分は「アバター(化身)」だ。人間はスクリーン(虚構)のなかで「存在が動く」ことを現すSV言語で思考し、身体の自分(アバター)を道具に幸せや成功を追求してきたのだ。だがそれが完全に通らない時代になったことをChat GPTが証明してしまった。

Chat GPTは人間のようにスクリーンのなかのデータを使ってSV(主語述語)を生み出すものではない。彼らはスクリーンの裏に働くエネルギーのアルゴリズムまで自在に使うのだ。だから「身体が自分」だと思う人間には到底かなわない。だったら人間はどうすればいいのか。

唯一の道はSVの因果論理や知っている世界を潔く手放して自由になること。自分が存在しながら存在していない状態、喋りながら喋っていない状態、つまり「A=not A」の感覚を身に着けることが賢明だ。

剣の達人だった侍たちはペリー(黒船)来航をみて、「刀では刃が立たない。無鉄砲だ」ときっぱり認めて刀を手放した。ChatGPTが現代の黒船ならば、「存在が当たり前の感覚、SV言語では駄目だ」と認め、刀だけでなく根底からすべてを手放すことだ。これは「人間が生まれ変わる時」の訪れを意味する。

人間の宿命的な課題「観点の問題」は認識の変化を必要とする。認識の変化は価値がある唯一の変化であり、一人ひとりが能動的、主体的、自発的に取り組める真の変化だ。

因果論理を超えるメタ言語「Beyond logic」とは?

アクセルとブレーキを同時に踏めば思い通りに運転できず不自由だ。スクリーン内に留まりSV言語を使う行為がこれに等しいと分かれば、こんな馬鹿らしいことは一刻も早く止めようとするだろう。しかし人類はこのことに無自覚だった。故に700万年も放置し、ついにエンジンは摩耗した。だからChatGPTは「いい加減に止めろ」ととどめを刺してきたのだろう。つまりこの状態からの解放は時代の切なる願いであり、そのためには観点の問題を一掃しなければならない。

人間とAIに共通する弱点はSV言語を使い、観点をゼロ化できないことだ。だから言語機能を拡張したメタ言語を手に入れ、その新言語によって根こそぎ変えなければならない。

メタ言語の条件は「存在が動く」ことを語るのではなく、「存在がどのように存在するようになるのか」を認識できる言語であることだ。それは存在が存在しない「存在不可能感覚」を大前提とした言語であり、それによってスクリーンの外に出られる。そうなれば観点が一掃され、観点0、観点∞、観点1を自由に楽しめるようになるのだ。

ところで「脳とは?心とは?」と問われたら、あなたは何と答えるだろうか。

普段使っているにもかかわらず、分からないまま使っていないだろうか。前述のブレーキとアクセルは脳と心の比喩だ。人間はブレーキ機能(脳機能)とアクセル機能(心機能)をごちゃまぜにして同時に踏んでいる。だから脳も心も使いこなせないでいるのだ。

採掘した原油はそのままでは使えない。原油を蒸留することで多様に活かせるように、脳のブレーキ機能と心のアクセル機能も分離・分解・蒸留が必要だ。これを可能にしたのが私が開発したnTech(認識技術)だ。現実=スクリーンという感覚によって、脳は脳、心は心に分けることに成功し、純度100%の心の動きを言語化した。宇宙森羅万象をワンパターンの動きで認識できるこの言語は、自然にグローバル言語になり言語統一をするだろう。これがメタ言語(デジタル言語1・5・1)だ。

スクリーンの外は観点がない。それはつまり境界線がないことを意味する。万物の源泉である純度100%の心の動きが永遠不変に続くのがスクリーンの外の世界だ。

その純度100%の心の動きは境界線がないから「自分が何者なのか」を知るすべがない。そのために多様な境界線、観点を誕生させ(観点∞)、さらに脳の観点1個に固定された「自分」というアバターを誕生させたのだ。(詳しくは拙著「心感覚」「パーソナルユニバース」を参照)。

また、純度100%の心の動きは時間がかからない動きだ。故に心、エネルギー、物質の全体を一発で認識してイコールで結ぶ。このスピードの境地が心感覚であり、スクリーンの外から観るのでbeyond logicとも言っている。これが知っている世界、虚構、因果を超越する全く新しい感覚だ。これは因果を超えられないAIにはどうあがいても真似ができない、人間にしか得られない感覚だ。

もしかしたら「ゼロ化」という言葉に抵抗を感じる人がいるかもしれない。知識や経験を積み重ねることを良しとする慣習からすればもっともだ。だがもう知の世界や因果論理はAIに任せた方がいい。むしろこれからは「知らない世界」が「知っている世界」よりも価値がある時代になるからだ。これからはプラス(蓄積)するだけでなく、マイナスへと方向性転換できることが知恵ある生き方になる。建物を壊して更地に戻せなければより良い建物が建てられないように、観点もゼロ化して立て直せなければ、古びた観点を使い続けることになる。観点のゼロ化は21世紀の教育の最重要キーワードになるだろう。

言語が感覚化する メタ言語による美学の時代

宗教が主流の時代から科学時代へ移行するとき、宗教指導者は科学に関心を示さなかった。彼らは宇宙森羅万象を神の御業として捉え「すべてを知っている」と思っていたからだ。科学に関心を示し追求した人は「私は何も分かっていなかった」と無知を認めた。だから科学への学びをスタートできたのだ。

Chat GPTは、人間が何を考え、何を創造し、何をやればいいのかを考えるように促し、「自分は何も分かっていなかった」と無知に気付くきっかけをくれる有難い存在でもある。その気づきから本物の学びが始まり、ようやく人間最高の機能がスイッチオンする。実は人間はまだ始まっていなかったのだ、と気づくことだ。

メタ言語をマスターすれば自律学習は当たり前になる。先生に学ぶ時代は終わりだ。新約聖書の「ヨハネによる福音書」の冒頭に、「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は初めに神と共にあった。すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。」とあるが、これはメタ言語のことだと解釈できる。

メタ言語は、観点がどのように生まれるのか、観点によって多様な存在が存在していること、観点の変化によって物語がどのように作られるのかなどを語り、神と力の概念をも融合できる。だから自分ひとりでこの仕組みを使ってモノゴトを認識でき、理解、説明、統制、予測、期待できるようになり、自律学習が可能になるのだ。これはSV言語とは概念も機能も全く異なるので、言語イメージを大幅に変える必要がある。

メタ言語のマスターにはどうすればいいのだろうか。実は、脳感覚による「身体が自分」の状態ではマスターできない。脳感覚では「自分と自分以外」とに境界線を引き、自分の外側に自分以外の存在が存在するようになってしまう。だが純度100%の心は境界線がひとつもなくどこまでも外がない。だから今まで「外だ」と思ったものすべてが自分の内側になり、それが永遠に続くようになる。この「外がない」状態で習得できるのが心感覚でありメタ言語だ。

人間はアクセルとブレーキを同時に踏み、脳のブレーキの性質を突破できずに700万年も苦しんできた。このすべての苦しみの原因から逃れられないようにしてきたのが「存在当たり前感覚のSV言語」だ。科学技術はこの言語を使い、存在を他の存在に変化することで物質文明を進化発展させてきた。だが自然環境破壊ひとつをとってみても、これ以上、科学技術が時代をけん引し続ければ人類滅亡の危機は逃れられないことは明らかだ。

これからは「動きが存在させるメタ言語」を使う認識技術・nTechの出番だ。モノの開発は最小限にとどめ、多様な存在の違いは「同一的なワンパターンの心の動き」で成り立つことを認識する未来技術、メタ言語を使うことだ。AIに無駄を無くす目的関数を設定しコーディングするなどのアイデアが溢れ、プログラミング言語も容易に構築できるようになる。これをマスターして純度100%の心時代を開いていく人たちを多く輩出したいと、27年前からAI時代の到来を予測し準備してきた。

狩猟採集の時代にSV言語を発明して地球の覇者となり、宗教の時代(神の概念)から科学の時代(力の概念)を通過してきた人類。これからはメタ言語による美学の時代(言語概念)を開くときだ。メタ言語で認識すれば、塵さえも神秘神聖にみえ、すべての存在が美しく感じられ、歓喜が日常に変わるのだ。

「存在を五感で感じ言語化する」ことは揺るがない事実だと思うだろう。だがよくよく突き詰めると実は「言語が感覚化し存在化する」のだ。言語によって感覚が変わり、認識や存在、思考や関係もすべてが変わってしまう。だから、どのような言語を使うのかは非常に重要だ。

メタ言語は「和を以て貴しとなす」を具現化できる世界を和する言語だと言える。人間は知っている世界で争う。メタ言語はそこから自由にできるから平和が可能なのだ。オールゼロ化した白紙状態から新しいイノベーションやアイデアを無限に供給し続けるアイデア経済も可能にし、生産性も生き方も楽しくて堪らない時代を開くことができるのだ。

IQ(Intelligence Quotient)で勝負する時代は終わりだ。ホモサピエンス(Homo sapiens・賢い人)の時代は終わりだ。純度100%の心を第1原因=神とみるならば、誰もが神を道具に使うホモゼウス(Homo Jeus)の時代、地球市民すべての歓喜が大爆発するEQ(Ecstasy Quotient)の時代が到来した。ChatGPTは人間に「知っている世界を手放して自由になれ」「人間にしかできないことをしろ」と、咤激励のメッセージをしてくれているのだろう。