コラムColumnコラム Column

2017.02.23

認識技術が案内する本物の客観的観点とは?

現在文明の土台となっているものは学問です。
すべての学問は、「人間と人間の宇宙が実在する」という、存在が有ることが大前提の認識方式によってつくられています。

この大前提は誤った思い込みであるにもかかわらず、私たち人間は誰もがその大前提に基づいた教育を受けて生きています。つまり、私たちは教育によってつくられた集団の思い込みの中で生きているのです。このようにみると、人間は、社会共通の約束体系の海の中にいる魚のような存在といえます。

 

社会秩序としては、政治、経済、法律、倫理、道徳、宗教、芸術、科学、哲学があり、これらを土台に考え・感情・言葉・行動・人間関係を構築するのが人間のライフスタイルです。

人類はこれまで長い年月をかけて様々な因果論・当為論を習慣化しているため、私たち人間は、○×、善悪、好き嫌い、やっていい・やってはいけないなど、常に判断し、また判断される状態なのです。そして、人間が決めつけた約束体系でがんじがらめの社会という海の中に、魚である人間は生まれてくるのです。

 

人間が社会生活をする上で、知らないことが原因で起きる問題もたくさんありますが、それ以上に問題なのは、「知ってること」が原因で起きる問題です。なぜなら、知ってる世界がお互い違うため、その違いによって起きる摩擦や衝突が、鬱、自殺、殺人、戦争につながっているからです。

この人類最大ともいえる課題を解決するためには、宇宙自然の根源を道具に使って現象や物事を観察・観測し、客観的かつ共通の情報データをもとに、思考・論理を展開することが重要です。

宇宙自然の根源とは、永遠不変の絶対世界、すなわち5次元ひとつの動き(オリジナルマインド)です。その宇宙自然の根源から観察・観測を行うことで、情報データの客観的理解が可能になるのです。しかし、今まで人類は宇宙自然の根源に対して、明確な規定をすることができない状態だったので、それぞれ異なる観点から観察・観測を行ってきたのです。

 

その観点を大きく分けると四つあります。

まず一つめは、人間一人ひとりの日常生活を中心にした考えを基準軸とする観点で、これを主観的観点といいます。
二つめは、地球の外から見た物質の動き、物理法則を考えの基準軸とする観点で、これを客観的観点といいます。
三つめは、五感覚で認識できる現象、特に、目に見える現象の秩序を思考の基準軸にする観点で、これを現象的観点といいます。
四つめは、その現象を成り立たせる裏の秩序体系を思考の基準軸とする観点で、これを本質的観点といいます。

 

このように「主観的・客観的・現象的・本質的」という四つの観点の中で、現象的であり主観的なのは、代表的には政治と経済です。現象的であり客観的なのは、倫理や道徳があります。本質的であり主観的なのは、宗教や芸術があります。そして本質的であり客観的なのは、哲学や科学になります。

 

地球の中の一人ひとりの日常生活の経験は、全部バラバラで主観的なものなので、それと比べると、物理法則は一人ひとりの主観的観点とは違う客観性を持った客観的観点だと思いやすいでしょう。しかし、それはあくまでも、相対的な比較による客観的観点にすぎません。

なぜなら、人間が見ているのは、人間の五感覚の脳が認識する地球であり太陽なので、他の動物とは違う「人間類」的な意味での客観的観点であって、本物の客観的観点とはいえないからです。

 

宇宙すべての根源、すなわち、5次元ひとつの動きを基準軸に観察・観測することで、本物の客観的観点を持つことができます。
上に挙げた四つの観点から本物の客観的観点に次元上昇させる技術が認識技術なのです。

 

認識技術は、セッションを通して心理学的整理、脳科学的整理、認識論的整理などの段階的なアプローチも活用しながら、観点の構造を理解し、観点をほどいていくことができるので、個人の思い込みから集団の思い込みまでオールゼロ化することができます。

そうすることで、「この体だけが自分」という有限のアイデンティティから無限のアイデンティティに変化し、約束体系の海である宇宙自然及び現実社会、すなわち統制・調節が不可能だった世界を、統制・調節が可能な世界に変えることができるのです。

そして、自分の人生を、自分で設計できる主体性、自発性、尊厳性あふれる人生を過ごすことができるようになるのです。

Noh Jesu