2013.09.06 コラム

「客観的絶対世界1」を活用応用する時代とは?

今までの時代が、「物」を変化・移動させることを通して人間を喜ばせ、楽しませる料理を作ってきた時代だとすれば、これから観術が新しく広げようとする時代は、誰もが「客観的絶対世界1」を“今ここ”で活用応用して料理し、いつもスッキリ、ワクワクの心の状態で生きるようになる時代です。

それは人間一人ひとりが自分自身の尊厳を、どんな相手にも、どんな事にも毀損されることのない「尊厳文明」「尊厳社会」です。

これから本格的な情報化社会に突入していく中、「物」を編集・デザインして商品やビジネスを生み出す分野の多くは、IT・コンピューター・機械・ロボットが主流に働く時代になります。
2018年にはコンピューターが人間の知能を超えると言われています。
既に深刻化している雇用問題を解決するためにも、コンピューターやロボットが真似できない、人間にしかできない仕事場を生み出すことが全世界的に求められている緊急課題です。

では、機械やロボットになく、人間だけが持っているものは何でしょうか?
それは、一言でいうと「感性」です。 人間独特の悟りの感性、すなわち、5感覚を超越した「心感覚」「ゼロ感覚」を開発し、今まで人類が到達不可能だった「客観的絶対世界1」を活用応用する新しい社会が、観術が目指している尊厳文明、尊厳社会なのです。

観術でいう「客観的絶対世界1」は、私たちが生きている現実世界を成り立つようにさせている真実世界、真理です。
科学的に言うと、この宇宙に存在する4つの力(重力・電磁力・弱核力・強核力)を統合するひとつの力であり、最終理論、M理論を指します。
これまで人類は、その「客観的絶対世界1」に対する答えを探すために、主に哲学的思考を発揮し努力を重ねてきましたが、科学の発達と共に量子力学を中心とする現代物理学にその答え探しをパスしてしまっています。
現代物理学では、超ミクロの世界までも数学方程式を活用し、存在の仕組みを解明しようとしてきましたが、最終的な答え、すなわち真理に対しては、自信を持って表現できない現実があります。

また、数学的言語を通して誰もが納得できる「客観的絶対世界1」を解明しようとする現代物理学は、その科学的アプローチと次元の違う宗教的アプローチに対して、かなり厳しい批判をしています。

科学的アプローチは、存在そのものの構造や力のメカニズムを解明することで、
存在の意味・目的・価値を帰納的に解明しようとしています。
一方、宗教的アプローチは客観的絶対世界1を絶対存在「神」として大前提に置き、その神の実在を信じ込み、すべての存在を神の被造物として解釈し、人間の存在意味や目的自体も神の創造目的から出発して演繹的に叙述していく教理的・ドグマ的表現を展開しています。

科学はこのような宗教的アプローチに対して、盲信状態の論理展開は認めないという批判をしてきました。
しかし人類歴史において宗教的アプローチの歴史伝統は長く、それと比較すると科学的アプローチは短い歴史伝統であるという限界があります。
それだけではなく、科学が宗教の限界を明確に確信しているとしても、宗教の世界を終わりにさせることができない根本的限界があります。
それは、宗教的アプローチが「神」という絶対存在を盲信しているように、科学的アプローチも「現実」、すなわち「存在・物質」が絶対に実在していると盲信した状態で、すべての思考、論理を展開しているという弱点があるのです。

これは科学が最終的な答えを明確に導き出せない決定的な原因でもあります。

また科学的アプローチは、因果論に基づいていた客観的アプローチですから、人間一人ひとりにとって「自分と関係ない宇宙論」になってしまいます。
その結果、科学はつまらないという無関心にもつながっています。
さらに人間観についても、肉体レベルの人間を人間として規定している今の科学の人間観では、無限に大きい宇宙と比較すると、人間なんてちっぽけな存在だという人間の存在価値の限界も作ってしまうという現在地があります。

観術は、主観的宇宙と客観的宇宙を融合し、科学的アプローチと宗教的アプローチの限界を補って、「客観的絶対世界1」が人間を含めたこの宇宙のすべての存在の素材であり、どんな人間も一人残らず絶対尊厳そのものであることを立証しています。

また観術は、人間一人ひとりが「自己絶対肯定」「不動心」「不動志」、そして「真実の自立」を得る未来技術・未来知識であり、人間の無限の可能性と個性を発揮する新しい生き方を案内する21世紀の教育コンテンツ及び教育産業を、今の時代的課題を解決していく代案として提案しています。

日本からこの観術を広げることを通して、これまでの教育や経済の限界を超える新しい教育、経済のモデルをつくることに貢献したいと思っています。
ぜひ一人でも多くの日本の皆さんに関心を持っていただきたいと願っております。

Noh Jesu