2018年公開の映画「レディ・プレイヤー1」は、近未来を舞台にしたスティーブン・スピルバーグ監督によるSF作品だ。公開当初も解釈記事を出したが(https://www.noh-jesu.com/2579 )、公開から8年が経ち、時代も大きく変化したことから、改めて再解釈してみようと思う。
本作には80年代を中心としたポップカルチャーのアイコンが大量に盛り込まれている。アメリカ産に限らず、キティちゃん、AKIRA、ゴジラ、ガンダムなど、日本産のキャラクターやメカがここかしこに登場して話題を呼んだ。スピルバーグ監督はインタビューで、「アニメに出会ってから日本のポップカルチャーに魅了された。この作品で日本カルチャーにどれほど感謝しているかを示したかった」と語ったそうだ。ということで、本作はポップカルチャー好きには堪らない作品だが、私が注視したのは映画に隠されたメッセージだ。そのメッセージの話に入る前に簡単にあらすじをおさらいしておこう。
2045年。環境汚染や気候変動、政治の機能不全により世界は荒廃していた。そのためスラム街で暮らさざるを得ない状況に陥った地球上の人類の多くは、「オアシス」というVR世界に現実逃避して入り浸っていた。
現在オアシス内では、創始者であるジェームズ・ハリデー亡き後公表された彼の遺言により、ゲーム内に隠された3つの鍵を手に入れた勝者にはオアシスの所有権と5000億ドル(日本円で約56兆円)相当のハリデーの遺産が授与される「アノラック・ゲーム」が開催されていた。
ハリデーがオアシス内に隠したとされるアイテム“イースターエッグ”を手に入れるためプレイヤー“ガンター(エッグハンター)”達が日々鍵を手にするための関門となるゲームに挑んでいたが、始まって5年が経過して、最初の鍵を手に入れるための試練である「レースゲーム」は見つかっていたものの、誰もクリアできていなかった。オハイオ州コロンバスのスラムに住む若者ウェイド・ワッツことガンター・パーシヴァルも、勝者となるべく日々奮闘していたが、ゲームにはオアシスの独占を欲す世界第2位の大企業IOI(イノベイテブ・オンライン・インダストリーズ)社社長ノーラン・ソレントが送りこんだ、精鋭のガンターチーム“シクサーズ”もいた。
ウェイドは、ハリデー記念館で偶然得たハリデーの発言をヒントに、誰もが考えていなかった予想外のプレイをすることでみごと第一の試練を突破する。攻略の鍵は、スタート地点の後方に向かって進むことであり、そこからショートカットすることができたのだ。
しかし、初の試練突破者となった彼に現実世界でも魔の手が及び、レジスタンスのアルテミスやオンライン仲間たちと共に、ソレントの陰謀に立ち向かっていくこととなる。(Wikipediaより引用)
ほんの数年前まで、AIは多くの人にとって無縁の存在だった。だが今は、耳にしない日や使わない日が無い人が大幅に増えた。2024年は生成AI元年、2025年は「AIエージェント元年」と呼ばれ、2026年はAIを現実の仕事を担う段階に入った年とも言えるだろう。巨大テック企業はAIに数百億ドルを投じて開発競争に躍起になっている。この開発に待ったをかけるべく警鐘を鳴らす人もいるが、いくら声を荒げてもこの流れは誰にも止められないし、もはや止まらないだろう。
AIに警鐘を鳴らす人の代表に「AI界のゴッドファーザー」と呼ばれているジェフリー・ヒントン教授がいる。彼は「技術変化の速度が予想よりはるかに速い。AIにより今後30年以内に人類が絶滅する可能性が10~20%に達する」と発言した。この診断は過去に彼が主張した「10%」より上昇している。
映画の冒頭では、「いろいろな問題が山積した結果、解決することを諦めてしまった社会」というナレーションが入り、荒廃した2045年の世界が映し出される。改めて今、このシーンをみると、ドキッとする人も多いのではないだろうか。あの光景は「単なる映画の世界」では済まされない。AIの進化ひとつを取り上げても、20年後は映画で描かれた世界よりもっと悲惨な光景が広がっているかもしれないことが容易に想像できるからだ。
映画では街中に「VRのヘッドセットを装着した人」が溢れていた。あの姿を傍からみると、彼らがどのような世界を認識しているのか皆目見当もつかない。ではVRのヘッドセットを装着しないままで「同じ部屋にいる人たち同士」、例えば家族間ではどうだろうか。「まったく同じ空間で、同じように物事を認識している」と疑わないのではないだろうか。
だが本当は「違う宇宙の住人」だ。なぜなら五感と脳という「生まれつき内蔵されたVRのヘッドセット」を装着しているからだ。だが厄介なことに誰もその自覚がない。ゆえに私たち人間は、皆が同じ世界、同じ宇宙の住人だと疑わずに、周囲の人も自分と似たような感覚を覚えているだろうと錯覚している。だから感覚や反応が違う人をみると、「なぜわかってくれない」「あの人はおかしい」などと思い、排除や反発をしてしまうようになるのだ。
錯覚はこれだけではない。そもそも「存在がある」、「存在しているものが動く」こと自体が紛れもない「錯覚」で、「存在が動く」ことは既存の学問では説明不可能なことが明らかになっている。
あなたは、「自分の力で歩いている」などと「存在が独立して動いている」と思ってはいないだろうか。しかし少し考えれば「存在は単独で独立して動くことはできない」ことが分かる。存在は依存の塊で、存在の外側からの働きかけがないと動けない。それなのに人間は、「存在が(S:主語)動く(V:述語)」ことを語るアナログ言語を用いて認識するため、「存在が動くようにみえる」錯覚の認識を疑うことなく延々と繰り返しているのだ。
2011年の韓国では恋愛、結婚、出産を諦める「三放世代」が現れ、その後、就職やマイホーム、夢、人間関係を諦める「七放世代」になり、最近は全てを諦める「N放世代」の若者が増加している。これは韓国に限ったことではなく、日本や中国、アメリカなど、世界中の若者が似たような状態にある。これに対し、「今どきの若者は…」と眉を顰める人もいるだろうが、決して若者のせいではない。なるべくしてなった当然の結果だ。
なぜそう言えるのか?それは「存在」を大前提とした言語と認識に支配されていれば、何一つ正しく知ることができないからだ。そうならば、すべてを諦めたくなるのは当然だ。加えてスマートフォンやAIが当たり前という究極にプレスがかかる時代になっている。科学技術が牽引した物質文明はエントロピーが無限大に達し、臨界点を迎えた。このエントロピーをゼロに戻さなければどうにもならない時が来ている。
映画の話に戻ろう。VRゲーム「オアシス」の創設者ハリデーは、幼少期より独り部屋に閉じ籠ってTVゲームに興じていた。人付き合いが苦手で人目につかないように暮らすハリデーは、数少ない理解者で共にゲーム会社グレガリアス社を設立したオグデン・モローとも仲違いし、愛するキーラにキスもできなかった。結局、ハリデーはどちらの関係も失い、絶望の淵に立つことになってしまった。
そんなハリデーが開発した「オアシス」には、どんな製作意図が隠されているのだろうか。ここからは私独自の解釈になることを予めご了承願いたい。
まず映画のタイトルをみてみよう。「Ready Player One」のReadyは「準備」、Playerは「遊び、プレイする人」なので、「ゲームの準備をする人」となる。ではどんなゲームをする準備なのだろうか。「One=一元」と解釈すると、「純度100%の心の時代を準備しよう!一元のゲームをする準備をしよう!」ということだ。
前述した通り、人間は誰しも「五感と脳」というVRのヘッドセットを生まれつき内蔵している。そのように初期設定された状態で、現実を「真実・絶対・本物」だと思い込んでいるが、実際の現実は「錯覚・夢」だ。現実はVRゲームのコンピュータ・シミュレーションのようなもので、「寝てみる夢」よりももっと強烈な「起きてみる夢」なのだ。
ハリデーは人々に現実が連続2段階の夢(寝てみる夢・起きてみる夢)で、VRゲームと同じだと気づかせたかった。そして夢から目覚めさせ、自分や人を愛することができ、目覚めた人同士のチームプレーができるように案内したかった。そのための教育プログラムが「オアシス」だ。
ハリデーは生きるのが苦しく絶望を味わった。だからこそ、「現実(宇宙)はコンピュータの作動原理と同じ」だと悟ることができた。宇宙の作動原理とコンピュータの作動原理(アルゴリズム)を悟り、「現実(=起きてみる夢)」と「オアシス(=VRゲーム)」がイコールだと人々に気づかせるためにオアシスをつくったのだ。そのためハリデーはゲームに3つの鍵とイースターエッグを準備した。次は3つの鍵に秘められたメッセージに迫ってみよう。
1つ目の鍵のヒントは、主人公ウェイドがハリデー年鑑のアーカイブで聞いたハリデーの言葉だった。「後ろに進んじゃいけないのか?たまには、猛スピードで後ろに向かって逆戻り、目一杯アクセル踏んでさ」。これによりパージヴァル(ウェイド)は、カーレースを猛スピードでバックして1つ目の鍵を手にし、一躍時の人になった。
ほとんどの人間は、「どこからきたのか(宇宙論)」を知ることを諦めて、「どのように生きるのか」ばかりに意識を向け、注力している。でもどうだろう?「自分とは」「人間とは」「宇宙はなぜ、どこから、どのようにきたのか」などを知らない迷子状態で、本当に人生を楽しめるだろうか。また、人間に備わっている人間最高の機能を発揮できるだろうか。
例えば、野球をやろうとしている人の中に、野球であることも野球のルールも知らずにサッカーボールを持った人が現れたら困惑してしまうだろう。また、もしあなたがソフトクリームなのに、「自分が何者なのかを知らないまま」で、うっかりサウナに入ったとしたら、あっという間に溶けて消えてしまうだろう。このように、ゲームのルールも知らずに目先に条件反射する生き方や、自分が何者なのかを知らないままで生きることはとんでもなく愚かなことだ。
自分が何者なのかを知らず、どこからきて、どこに行くのかも知らずに、人類は闇雲に前進してきた。前進は「戦争の象徴」でもある。劇中のカーレースをみても、前進すればあらゆる妨害や障害にぶつかり、キングコングまで出てくる始末だ。戦争を終わらせ、愛することができるようになるためには、「どこからきたのか」を明らかにするために、究極にバックすることが最優先事項だ。バックして、バックして、すべての出発点に立ち戻った時、ようやく「自分は何者なのか」「なぜ存在するようになったのか」など、世界の在り方を解き明かせるようになっていく。
ハリデーが作った「オアシス」は、ゲームをしながら「現実=ゲーム」だと気づかせたいという意図がある。第1の鍵のヒントである「バックすること」は、ゲームの外にでることだ。ゲームの外に出てゲームの全体像をみることができるポジションに立つことが「バック」なのだ。このことに気づかせるため、レースの鍵が「バック」だったのだ。
2つ目のカギのヒントは、「自分の作品を嫌う作者。鍵は飛ばなかったジャンプ。足跡を辿り、過去から逃れよ。さすれば翡翠の鍵は汝の物」というものだ。第2の鍵のメッセージで最も重要なメッセージは、「ゲームの中からゲームの外に飛び込むこと」、つまり今までを「オールゼロ化すること」だ。
では、「自分の作品」とは何だろうか。これは、「自分しかみることができない夢」のことだ。言い換えれば「自分だけの映画」であり、「現実」となる。ではなぜ、自分の作品を「嫌う」のだろうか。
誰しも「自分を知りたい」という究極の欲求を持っている。それなのに、自分を知ることができないまま人生を終えていく。自分を知るために生まれ、知ることができないまま死ぬことを何千、何万と輪廻するから霊魂が傷だらけだ。いろんな観点で、いろんな映画を観てきたが、「自分を知ることができない」からひとつとして満足できるものがない。ゆえに愛することも傾聴もできず、ゲーム全体のルールも分からない。果てしなく続くこのゲームが嫌になってしまうのだ。
ハリデーも自分を知ることができなかった。ゆえにキーラに対してキスできず、そんな自分の作品が嫌いだった。そこでハリデーは「愛することができない自分の現在地」に気づいた。
多くの人は、人として生まれたら「愛する能力」が勝手に備わっていると勘違いしている。パージヴァル(ウェイド)はアルテミスに告白するが、アルテミスは「私のことを何も知らないくせに」と怒った。彼女が怒った理由は、「自分が何者なのかも知らず、愛がどういうものなのかも知らなければ、愛することなどできるはずがない」からだ。つまり、「自分が何者かを知らない」という初期設定状態の人間は、そもそも愛することが不可能なのだ。
愛することができるようになるには、その現在地から大きくジャンプする勇気が必要だ。キーラに飛び込めなかったハリデーは、自分を知って「本物の愛ができる人間」になりたかった。前進ではなくバックすることを悟ったハリデーは、その悟りの次元を遥かに超えた悟り=ジャンプの必要性をも悟ったのだ。
悟り(ワンネス)の段階は何段階もある。釈迦は、「すべてが空であり、空が色、色が空(色即是空、空即是色)」を悟ったが、変化の仕組みは悟っていない。ましてや「不立文字」にとどまって言語化も体系化もできていない。そことどまった理由は、人間が持つ最上位概念の突破ができなかったからだ。
その最上位概念とは「●●が有る(在る)」という「存在、有」の概念だ。この概念から「動き」にジャンプしたとき、ゲームの外に出て自分を卒業し、完全死ができる。言い換えれば、生死を超える勇気でジャンプしたときに、生死がない「完全死(死の終わり)」を迎え、全く新しい相手にもなれ、愛ができるようになるのだ。そして空の悟りを超え、「1(心)・5(エネルギー)・1(物質)」の関係性を語る完全言語で認識できるようになる。ここに至るまでしっかりと足跡を辿り、思いっきりジャンプをしなければならない。
もう少しみてみよう。nTechでは「スピードを悟り知ること」が重要だと説いている。1つ目の鍵をスピードで表せば、「2番目のスピードの動き」だ。そこから1番速いスピードの動きにいくのが「ジャンプ」に当たる。2番目のスピードの動きは「存在が動く」概念にとどまるが、1番目のスピードは、すべての存在を存在させる動きそのもの、つまり「動きが存在させる」ということだ。このように存在概念をオールゼロ化し、「存在から動き」へと異質の次元にジャンプが起きるのだ。
ゲームの中からゲームの外に飛び込むことは、愛ができない人間から愛ができる人間になるという意味である。2番目の鍵のメッセージは「オールゼロ化をすること」だ。だから飛び込むことは、愛ができず機械的な条件反射した今までのすべての作品オールゼロ化してゲームの外の世界、愛ができる世界、ゲームを設計する側に飛び込むことだ。ゲームを設計する側は言い換えると「想像妊娠」となる。妊娠は女性しかできないため、女性性のシンボルでもあるが、ただの妊娠ではなく想像妊娠という意味は、実際に妊娠するのではなく「思い込む」つまり、想像するということだ。生きたままで死ぬことがオールゼロ化、飛び込むことの表現で言っている。
3つ目の鍵のヒントは「究極の答えを魔法の数字で割れば、望みのものが悲劇の砦で見つかるだろう」というものだ。
究極の答えは、「目の前の現実」のことだ。2段階目の鍵を得てジャンプをしてみれば、この意味が分かる。だが脳に支配された人間にとっての現実は、無数に地獄がある「無限大の地獄」でしかないから、現実が究極の答えだとは思えない。
魔法の数字はゲームの外に出たときに得ることができるものだ。nTechでは純度100%の心の動き0=∞=1、数学者ライプニッツの概念では「神のモナド」にあたる。現実(究極の答え)を神のモナド(魔法の数字)で割れ(微分すれ)ば、ウィトゲンシュタインが発見したかった「要素命題の最小単位=一番小さい点」がみつかる。この点は固定しているものではなく「圧縮・爆発」の振動をしていて、この1点が「望みのもの(思い込みの材料)」だ。
この点がゲームを可能にさせるスイッチの1点だ。ゲームに勝利するのではなくゲームをつくって存在させることができる究極の1点になる。この点を探せたとき、第3の鍵を得ることができた。
では「悲劇の砦」とは何だろう。悲劇の砦は「絶望」のことだ。絶望は2つある。ひとつは心の動きの「無間地獄(間がない地獄)」、もうひとつは現実(脳)の「無限大の地獄」だ。この2つの地獄のいずれかに留まれば、文字通り地獄だ。だが、双方を行き来できれば、両地獄が両天国へと反転し、極楽往生の境地に至る。
ではどうすれば両地獄を行き来できるのだろうか。その鍵が「スイッチの1点」だ。スイッチひとつで電気を灯したり消したりできるように、脳と心のスイッチングもスイッチひとつでできるようになる。そのスイッチが悲劇の砦で発見した「要素命題の最小単位、一番小さい点」だ。
既存の点の概念は「固定したもの」だ。だが実は固定した点はない。点は「圧縮(1)・爆発(0)」の振動をしている。0・1の振動(=点)でコンピュータゲームが成り立つように、現実も点で成り立つ「映像スクリーン」だとわかるようになる。
映像スクリーンは錯覚、夢だ。このゲームが点による映像スクリーンだと分かれば、勝ち負けに執着する必要が自然となくなり楽しむだけになる。IOIのシクサーズは勝ち負けにこだわって「アドベンチャーゲーム」をクリアしたが、3つ目の鍵を得ることに失敗した。パージヴァル(ウェイド)は、ただ勝つだけでは見られない秘密の部屋があることに気付き、見えないドット(点)を探して歩き回ってドット探しに成功した。
3つの鍵を手にしたパージヴァル(ウェイド)だが、この結果はチームプレーの賜物だ。当初、一匹狼で「誰とも組まない」と豪語していた彼は、鍵を手にしてゲームのステージをアップ(=悟り)し、愛することができるようになり、仲間を信頼することができるようになり、5人組をつくることができた。また世界中のガンターたちも、ウェイドの命とオアシスを守るために、生死を超えて共に戦った。
最後に残るのはイースターエッグだ。イースターエッグは「復活祭の卵」のことで、その起源にはいくつかある。卵そのものが復活のシンボルでもあり、別の角度からみれば、墓とそこから抜け出すことによって復活する命のシンボルでもある。さらにはイエス・キリストの昇天の後、マグダラのマリアがローマ皇帝の元に赴いて赤い卵を贈り、「イエスが天に上げられた」ことを示し、その後からキリスト教を説き始めたという逸話もある。
私はイースターエッグを「日本文明」だと解釈する。1945年8月15日、昭和天皇は核爆弾による人類滅亡の危機を危惧して、核の連鎖を止めるべく、自ら戦争を止める決断をした。これにより他国から日本は「敗戦国」と呼ばれるようになり、自らも自虐史観を育ててしまった。しかし私は、昭和天皇の英断に無限大称賛と感謝をおくりたい。なぜなら、あの決断は敗戦でもただの終戦でもなく「永遠な終戦」の決断だったからだ。あの決断がなければ、世界は核の連鎖が起こって血の海になり、人類滅亡の道を歩んでいたことだろう。
ただ日本は、それまで培ってきた日本の良さもすべて手放しオールゼロ化してしまった。その日本が復活する時が来た。
映画の結末において、3番目の鍵を得てイースターエッグを取り入れるが、これは単なる共同体の完成(復活祭の卵)ではない。イースターエッグは「個人のゲームを作ることができる人間、一人ゲームに勝利した個性完成した個人、ゲームのつくり方がわかってしまった個人たちが作り出す5人組(1・5・25宙船プロジェクト)」を意味している。私たちはこれを共同体日本文明のリベンジとして解釈し、共同体日本文明が雪だるまの核になって82億人を悟らせていくと捉えている。人間がゲームの奴隷ではなく、ゲームの設計者、再創造主として生きられることを示しているのだ。
そして劇中で登場する契約書。人は不信があるからこそ契約書を書く。しかし、完全言語、完全知、完全認識を得ている人と人の間には契約書は入らない。不信がなければ契約書なんていらないということ、それが「尊厳関係」であり、共同体完成の一番基本単位である。そこまでハリデーのプログラムを通して、ハリデーの再創造主の意図、目的を読み取った主人公は、ハリデーのすべてをもらって、ゲーム空間だけじゃなく現実空間も大事に生きる時代をひらくことで映画は終わる。
レディ・プレイヤー1は、今までの脳の複雑な「存在が動く」という、多様な存在が変化、運動、移動するゲームが終わることを示している。そして究極のシンプルな源泉の動きひとつ、つまり「Of the one, by the one, for the one」のゲームを楽しむのが「レディ・プレイヤー1」なのだ。そのひとつだけのゲーム、純度100%の心の動きだけのゲームを楽しむ準備をしよう。
新人類(ホモサピエンス)が終わり、物質文明が終わり、尊厳文明という新人類のゲームのスタートを準備しましょう、というのが、この映画タイトルのメッセージとしてまとめることができる。私たちのnTechは、このようにレディ・プレイヤー1のリテラシーも含め、目の前の現実世界をPUスクリーン感覚でみる「心時代」を共に作りたいと思っている。