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2010.04.07

映画『密陽』に観る“生きる原動力”

以前「人間を拷問する映画」というタイトルのポエムを書いたことがあるのですが、そのポエムの題材になったある印象的な映画があります。それは、2007年カンヌ国際映画祭で主演女優賞をとった『密陽(ミリャン)』という韓国の映画です。この映画を撮った李滄東(イ・チャンドン)監督は、韓国の文化府長官を歴任した方です。

私はこの映画を観た時、監督は人生に内在している“苦しみの美学”を表現しようとしているのだと思いました。

それがどういうことなのかと言うと、例えば、煙草を楽しむためには、煙草の火が必要ですね。煙草の火がない状態では、煙草はその存在意味や、目的、価値をまっとうすることができません。煙草が火と出会い、煙草の葉っぱが火で燃え上がって生まれる煙が人間の体内に入ることを通して、煙草は本来の存在目的をまっとうし、価値を発揮することができるのです。

そう考えると、火は煙草にとってとても重要なパートナーであり、煙草の価値を発揮させる絶対道具でもあります。

これを美容師でたとえてみると、どんなに素晴らしい技術やセンスを備えた美容師でも、爪切りでは美を生み出すことはできません。美容師の絶対道具はハサミですね。

では、煙草にとって“火”、美容師にとって“ハサミ”が絶対道具であるならば、人生にとっての絶対道具、つまり、人生の価値を存分に発揮しながら、人生の目的を100%まっとうさせることができる絶対道具は何なのでしょうか?映画『密陽』を通して監督はそのことを問いかけているのだと、私は感じたのです。

では、この映画の前半のあらすじを簡単にご紹介しましょう。
交通事故で夫を亡くした主人公の女性は、かつて夫がいつか暮らしたいと言っていた彼の故郷である密陽(ミリャン)という町へ、幼い息子を連れて移り住みます。密陽へ向かう途中で車が故障し、レッカー車を呼ぶと、自動車修理工場を営む男性が現れ、彼に部屋を見つけてもらう事になります。主人公は息子を教育センターへ通わせ、男性の好意でピアノ教室を開きながら、地域の人々と触れ合おうと、日々の生活を送っていました。

主人公に想いを寄せる男性は、不器用ながらも次第に彼女の生活の中に入っていきます。ある日、主人公は自分の生きる意味だった最愛の息子を、誘拐事件で失ってしまいます。

一人取り残された主人公は、途方に暮れながら生活していく中で、ある日、近所の薬剤師からの勧めで教会へ行きます…。

この映画のストーリー展開は、「人間が生きる原動力は何なのか?」「それはどのように創られるのか?」また、タバコと火、美容師とハサミの関係のように、「人生にとっての絶対道具(パートナー関係になるもの・生きる原動力)は何なのか?」を考えさせるものなのです。

監督はこの映画を通して、主人公の女性のように大切にしてきたものすべてを失ってしまった人間は、一体どんな楽しみ、どんな生きる意味や価値を持って生きることができるのか?という問いを投げかけると同時に、人間として生きるということは、いつ何が起きるかわからない四苦八苦の世界であることをアピールしているのです。

四苦八苦の不安や恐怖と真っ向勝負し、幸せな人生を得るために、人間はどんな絶対道具を持って生きる必要があるのでしょうか?

人間論理による「恨み、復讐」、あるいは「許し、和解」なのでしょうか?それとも、宗教論理による神に依存した「救済」なのでしょうか?

5次元認識テクノロジーは、人類が今まで行ってきたこの2通りのパターンの解決方法の限界を超えた『5次元イメージ・5次元論理(イメージ言語)』を道具にして、人間を解放させていく道を案内しています。

皆様が少しでもその道に関心を持って頂ければ嬉しく思います。

Noh Jesu