2011.08.01 コラム

情報インターネット社会と自由競争経済社会の限界を突破し、未来社会をどう構築するべきか。それがJAPAN MISSION・JAPAN DREAMの本質 Part2

そして世界的に金融経済が不安定な中で、これから起こりうる経済の仕組みの崩壊として私が懸念しているのが、
1.通貨蒸発
2.信用縮小
3.企業や国家相互の疎通・交流の断絶と孤立
の三つです。

特に日本では、今までモノ商品による生活の充足感や感動の連鎖を主としてきましたが、これがもう限界に来ている現状があります。
これまでの産業構造での成功習慣で、なんとかモノづくりで期待できる産業にお金を投入し続けようとしますが、これが無駄になってしまう可能性が高いのです。
日本の先端産業として世界をリードする技術はもちろん素晴らしいものが沢山ありますが、単にこれまでの惰性でモノづくりに国家経済を投資し続けることは大変大きなリスクだと思います。
例えるなら、家族の中でとても期待された長男に対して、ほかの兄弟をよそにただひたすら長男だけにお金をかけ続けたものの、最終的に長男がそれに見合う成功を果たす前に命を落としてしまうようなものです。

モノづくり日本の栄光を担ってきた企業や産業にもうひと頑張りテコ入れしたくなる気持ちはわかりますが、期待され続けたその産業が崩壊してしまったとき、それまでに投資したすべてのお金は一瞬にして蒸発して消え去り、すべてが無駄に帰してしまうのです。これが通貨蒸発のリスクであり危機です。
中央銀行はゼロ金利で経済を点滴状態で延命させているようなものですから、基本的にマーケットに先行きに対する信頼感は低く、これまでの経済構造に対しての信用縮小から信用崩壊にまで至る可能性も考えなければなりません。
また、日本と世界の新しい経済システムへの舵取りを力強く牽引するべき役割があるのは大企業や国家組織ですが、こういった日本経済の状況や資本主義社会の文明構造の問題に対して、変革の力と成りえていない実情があります。

世界資本主義を主導してきたアメリカ経済も、古い経済発展モデルに依存している限界状態で、2011年8月今現在、世界証市株価が同時暴落し恐慌状態に陥っています。アメリカ失業率は16%に反して成長率は0.7%という深刻なアンバランス経済状態で、0金利政策を維持しながら2回に渡って2兆3千億ドルという莫大なマネーを投入し、景気浮上策を行いました。しかしその結果として通貨蒸発が起こり、ドルの価値の下落と米国債の格付けが降格される結果となっています。

これはまるで「モノ作り」という、今まで期待された「長男」に対して、ほかの兄弟をよそにただひたすら長男だけにお金や時間、幸せ成功モデルや期待を投入し続けたけれど、長男がそれに見合う成果を果たす前に命を落としてしまったようなものです。すなわち、通貨蒸発や信用縮小現象が起きてしまった結果なのです。

投入されたマネーの機能が今までと全く違う感動連鎖(新商品)を作り、青年雇用を創出し、未来価値・未来産業を作りだす方向性に働いている状態であれば、こんな通貨蒸発や信用縮小による株暴落という恐慌状態は起きないはずです。

こんな世界経済危機の状態でも、この危機の本質を洞察し、正しい解決策を提案している経済学者・政治リーダーシップは世界中に一人もいない状態です。25年間、長期沈滞に取り組んでいるこの日本でさえも、モノ作り一方向だけに執着し続いているにも関わらず、日本の知性人たちはただ沈黙を貫いているのです。

このように、過去の作られたシステムの中でのみ機能を果たし、システム内に閉ざされたクローズな世界で働いてきた力を、もう1段階次のステップへと上昇させていくこと。それが、今の時代の要請だと私は思います。
なにしろ、閉ざされたシステムと今までの経済モデルの中では既に臨界点を迎えてしまっているのですから、今まで知っている世界の外の可能性に勝負できるかどうかが重要になってくるでしょう。
いうなれば、個人も文明も繭の中に入ったまま閉じこもっているような状態です。内から外へ、新しい変革と発展の方向性のグランドビジョンをリーダー達は提示しなければならないのではないでしょうか。

マクロ的な観点から観たとき、この臨界点を越えて新しい日本、ひいては新しい世界へと向かうために私が必要だと思う二つの鍵は、「オールジャパン(ALL JAPAN)体制」と「エコノミック・コーポラティズム」です。
オールジャパン体制というのは、しばしば半ば悪意的に誤解されるような、画一的、全体主義的な形態とは全く異なるものです。
戦前の体験と戦後の教育とメディアのコントロールのせいで、日本人は何かひとつの方向に社会が一致団結して向かうことに心理的抵抗を感じやすくなっている傾向があるかと思います。

しかし、特に3・11の大震災は見方によっては第二次大戦で原爆を落とされ敗北したときよりもさらに深刻な事件と捉えることができますし、小さな政策や政治理念の相違を越えて、日本全体でひとつに力を合わせて新しい日本への道筋をはっきりと世界に対しても示さなければならない状況に置かれている現実があるのです。
ひとつに力を合わせて新しい挑戦に向かわなければならない事態に直面しているにもかかわらず、ここで大きな問題が邪魔をしています。
それは、先ほどお伝えした現代文明構造における、自由経済社会と情報インターネット社会がもたらす根本的な問題です。

各個人の多様な経験や観点を生かしつつ、同時に強固にひとつに団結しようとしてオールジャパン体制に向かうときに、一人一人の判断基準の問題がかなり大きな障害となって、行く手をはばんでしまうのです。
情報社会の中でただでさえ他者の観点を受け入れにくい意識状態を作られている個々人が、日本全体の命運を左右する国家再生のグランドビジョンに対してひとつに団結するのは、容易なことではありません。

判断基準の問題のポイントを改めてお伝えしておくと、
1. 人間は一人ひとり皆、判断基準を持っている。
2. その判断基準は皆バラバラで違う。だから摩擦や衝突が絶えない。
3. けれど、判断基準を無理矢理同じにしたらもっと問題。ロボットやファ
シズムになってしまう。
4. そもそも、判断基準は皆、不完全である。
5. それにも関わらず、皆、「自分の判断基準が正しい」と無意識に思い込んでいる。
というものです。

オールジャパン体制が難しい背景には、判断基準の問題○1○2○3○4○5の全てが作用しています。
かといって完全な判断基準を持っている人などおらず、政治権力や財力で、無理矢理押し付けようとしても○3の状況にはまりこんでしまうので、結局根本的な限界を抱えたままで前に進まない、といったことになってしまうのです。

しかも判断基準が形成される根本原因は脳の問題、脳機能の問題と直結しています。ですから、人間が脳を持って生まれ、脳を使って生き、脳によって判断している存在である以上、これまでの方法論では決定的な処方箋はどうにも出しようがないのです。
この問題を越えることができ、同時に日本経済全体が協調して、世界に先駆けた新規産業の創出と既存産業の活性化をはかるエコノミック・コーポラティズムを具現化する工程を段階的に形にしていく道。
それが、私が提唱する「認識産業」と、その認識産業を軸にした日韓のより深い交流の醸成です。