2013.06.01 コラム

観術の機能・性能

商品の機能を説明するために車に例えると「人やモノを載せて走ることができる」のが車の基本的な機能ですが、では観術の機能とはいったい何でしょうか?

「観術」の基本的な機能は、「侍の悟り」「不動心」を得られることです。

違う表現をすれば、無我、無為、無知、無想、無常の世界を体感で悟り、悟りを人に伝える術を体得し、多くの人の認識を5次元へと進化させることが可能なテクノロジーが、5次元認識テクノロジー「観術」です。

「侍の悟り」を例に説明しましょう。

その昔、侍が真剣勝負をする際の課題は「心をどこに置いておくのか」でした。

侍が自分と家族の名誉、命、財産のすべてを懸けて戦う真剣勝負の場においては、剣先の数ミリの動きひとつが勝負を決するという圧倒的なプレッシャーが襲いかかってきます。しかし、家族や藩主のことを気にしていたのでは勝負に集中ができず、プレッシャーに潰されて本来の力を発揮できないのでは負けてしまいます。

自分と家族と国の命運が懸かった圧倒的なストレス・プレッシャーにさらされながらも、そこに“囚われない心”で勝負に集中する為には、自分の心をどこに置いておけばいいのだろうか?

これが侍の究極のテーマだったのです。

その追求の果てに得た「不動心」「侍の悟り」

「武士道とは死ぬことと見つけたり」とは、体の死ではなく心の死(無我)を意味しています。

この「不動心」は、売上ノルマや目標達成に追われる現代人やオリンピック選手を目指すアスリートらが、多くのストレス・プレッシャーにさらされながらも“囚われない心”、“大自由の心”で仕事に集中し、本来の力を発揮した勝負をする為にも必要なものではないでしょうか?

車の機能が「人やモノを載せて走ること」であれば、車の性能は「最高時速○○km」「○○kgまで積載可能」「リッター○○kmの低燃費」などと表現できます(走行性能・安全性能など)。

観術の基本的な機能が「侍の悟り、不動心を得ること」であれば、既存の方法と比べてどのような性能の違いがあるのでしょうか?

観術の性能は、東洋の悟りと西洋の最終理論を統合する「ひとつ」のイメージを理解できることです。

古今東西、この世界は多様な表現をされてきました。

例えば老子の記した「タオ」、釈迦の説いた「空」、キリストの唱えた「愛」などは、いづれも本質的には同じ世界を示しているのにも関わらず、未だに世界は国家・民族・宗教で分断されたまま、統合される気配は見えません。そして、宗教・思想・哲学の「真理」を数学・物理学の「真実」とつなげて、シンプルに説明できるイメージは存在しませんでした。

世界で初めて、東洋の悟りの世界と西洋の最終理論をつなげてシンプルに整理整頓できる「ひとつ」をイメージできる「イメージ言語」があることが、観術と既存の宗教・思想・哲学・科学との明確な違い(差別性)です。

「永遠に変わらない5次元の動きひとつ」を明確な論理とイメージで伝達でき、数学・物理学とつなげて解析できる「観術」。「すべてはひとつ」であるこの世界の「ひとつ」を明確に定義できる観術では、意識と物質と力の関係もシンプルにイメージすることができます。

さらに、ソクラテスの「無知の知」、プラトンの「イデア」、ユングの「集合無意識」、ヴェーダの「ブラフマン」「アートマン」、胡蘭成の「禊」、ニーチェが指し示せなかった「善悪の彼岸」、アインシュタインの成し得なかった「統一理論(万物理論)」をも抱越して、すべてをたったひとつのシンプルなイメージで理解できる「イメージ言語」が5次元認識テクノロジー「観術」の核心であり、これまでの悟りを超えた「21世紀の悟り」といわれる所以でもあります。

Noh Jesu