2015.07.02 コラム

人類初の尊厳宣言

2014年にサッカーのワールドカップが開催されるブラジルと、2020年にイスタンブール五輪招致を目指すトルコで大規模な反政府デモが起きています。トルコのデモは1ヶ月を越えて若者による新しい政党結成へと繋がる兆しが芽生え、ブラジルでは100万人が参加して劣悪な公共サービスの改善や不透明な政治家の在り方に抗議しています。

対して日本の若者は、今の時代にどのような主張を繰り返しているのでしょうか?

医療や社会システムが発展した今の日本では、20代の死因の第1位が「自殺」になってしまいました。これは日本だけに見られる現象ですが、20代の若者たちが自殺を通じて今の時代に送っているメッセージとは、一体何なのでしょうか?

政治のせいにしてデモや抗議をするよりは、自己責任を追及して、自分の存在を消すことを選択する日本人の姿は、侍の切腹文化の名残であると海外で評されることもあります。しかし、私の眼には現代の文化文明が若者を殺しているようにしか見えません。

若者に職場を与えず、居場所と出番を提供できない現代の日本。仕事に就けない40%近い大学生の未来を奪ってしまう、この現代社会において、若者はどこに希望を見出して生きてゆけばよいのでしょうか。

21世紀は心の時代と言われ「物質的な豊かさより心の豊かさ」が重視されるようになりましたが、それだけ心を蝕まれる事件や出来事が多くなってきているようには感じないでしょうか。

決して明るくない未来、将来に対する不安から夢や希望が失われると、人は生きる意味・価値を失っていきます。

エンジンの火が消えた車のように、生きるエンジンが消えて、もう頑張れなくなってしまいます。未来に希望を持てない状態では結婚もせず、少子高齢化も進んでいきます。

お金を稼ぐ為の道具として人間を使う組織の多い現実を、若者は悲惨で、残酷で、屈辱なことだと感じています。そんな生き方に反対してニート、フリーターを選択しても、大人たちは認めてくれず、彼らも現実を変えることができずに苦悩しています。

NPOを立ち上げたり、社会起業家としてかっこよく見える生き方をできる1%の若者も居ますが、99%はより本質的な変化を望んでいながらも、何をどう変化させればよいのか、どのように生きていけばいいのかが分からず、思うようにいかない現実をすべて自分のせいにして、消えてしまいたいと願っています。

心の中が戦争だから、誰にも救えない―そんな歌が流行る程、自分の考えを無にしたい、この存在を消してしまいたいと強く願う若者の真のニーズに応えることができる道具は「観術」しかありません。

体を殺すことなしに、考えをゼロ化させ、心を無にすることができる道具。それが観術です。

座禅や瞑想だけでは得ることのできない無我の境地、邪念や考えをゼロ化した侍の悟りの世界、うつ・自殺を考えることなく何にも囚われることのない大自由の心を獲得できるのが、観術という道具の主な機能です。

すべての知っている世界から離れ、無知の完全性を悟ることで、人間の無限の可能性を花開き、宇宙誕生以前の意志そのものに還ることができます。

すべてを存在させている、大自由の意志そのものとなったとき、あらゆる存在や現象を愛で観ることができ、人間本来の大いなる尊厳を感じことができます。

王様の奴隷として使われていた人々が興したフランス人権宣言に始まる革命と同じく、21世紀は日本の若者が自分の考えの奴隷を卒業して人類本来の尊厳性に目覚め、日本初の尊厳宣言を通して新しい社会プレートを構築する認識革命を始める時代です。

新しい道具の発明が、新しい文化文明を切り拓きます。

人類が「火」を使うようになり、「言語」を扱うようになり、どれほどの変化が起きたでしょうか。もし「電気」がなかったら今の文明が存在したでしょうか?誰かが「インターネット」を発明しなかったら、今の生活はどうなっていのたでしょうか?

景気回復を意図したアベノミクスの思惑が外れ、株価が上がっても雇用や給料は増えず、景気の先行きも見えない今、日本の若者が立ち上がり、IT革命のときのように新しい産業を自ら創り上げて行く勇気が必要です。

新しい時代を創る意志が連帯して、プラットフォーム=共有経済を生み出し、新しい商品・サービス、職業、産業を生み出し、これまでにないマーケットが拡大してゆく道にこそ、日本は突破口を見出すことができるのです。

2014年、東京に55,000人が集まり、世界に向かって人類初の尊厳宣言を発信する若者達が、新しい日本と世界を創り出して行く未来の主人公です。

Noh Jesu