日本の仲間たちから「ぜひ映画『開戦前夜』を見てほしい」と言われ、日本に来て昨日その映画を見ました。
俳優たちの素晴らしい演技は、本当に文句のない芸術作品だと思いました。
しかしながら、この映画が伝えたかったメッセージを感じ取ろうとしたとき、私は悲しくなりました。
なぜ日本の未来が開かないのか。その明々白々な答えを推論できる映画だったからです。
戦争が終わって81年が経った今でも、日本は近代史を完全に消化しきれないまま、過去にとどまっている。その現在地が鮮明に見えてきました。
本来なら、日本の最も素晴らしいところ、美しさ、偉大さを活かしながら、新しい未来を切り開く挑戦に燃え上がれるタイミングなのに。
私の観点から見れば、何が日本なのか。日本の霊魂・精神とは何なのか。共同体日本文明の涙とは何なのか。そのことがさっぱり分からないまま、アメリカ中心のものの見方の中で必死に日本のプライドを探そうとしている映画でした。
率直に言えば、この映画は、日本が始めた太平洋戦争を「勝ち目のない愚かな戦争であり、恥ずかしい戦争だった」という前提で描いている映画でした。
そして、そのような愚かな戦争であることを理解し、猛反対する民間人や若者たちを描くことで、日本人の中にも賢明な若者たちが存在したことを示し、日本のプライドを少しでも守ろうとしている映画のように見えました。
しかし私から見ると、それは武士道の日本とは遠いところにあるプライドや誇りを描く行為に感じられました。
あらゆる数字やデータをもとに、日本には勝ち目がない戦争だったと規定し、その戦争を止めるために必死に動く人々を描いた「開戦前夜」の映画でした。
それは今のAI時代ともつながっています。
AI時代において、人間は何を学び、何を実践しなければならないのか。その本質につながる非常に重要なテーマと重なっているからこそ、私はこの映画について感想を書こうと思いました。
AIは、数値やデータに基づいて最適経路を案内します。
AIの計算結果は、膨大なデータと関数論理によって安定的かつ正確な答えを導き出します。しかし、それはあくまでも過去の記録の集積です。
その結果だけで未来や目的のすべてを決定してしまうことは、人間の尊厳とは異なるものです。
因果を超え、人間の直感と純度100%の心の動きと一つになり、リスクを背負って勝負すること。その中で人間尊厳時代を切り開いていくことこそ、AI時代における人間のミッションだと思います。
その意味で、この映画はAI時代の人間の使命とも、武士道とも距離のあるメッセージを伝えているように感じました。
織田信長の三千と今川義元の二万が激突した桶狭間の戦いを見ても分かるように、歴史には数字やデータだけでは測れない無限の可能性があります。
不確実な未来を前にして、リスクを背負い、未知の可能性を選び、一点集中で、生死を超えた勝負に挑む。それが武士道の世界です。
そのような世界観がまったく描かれていなかったことが、私にとっては残念でした。
日本が過去の歴史をどのように読み解くのか。
本来であれば、日本の近代史には未来へ向かうための素晴らしい内容が数多くあります。
しかし、それを未来への希望につながる形で解釈してしまうと、さらにひどい地獄が来るのではないか。だから、希望を感じられる近代史の解釈をすること自体が怖い。
まるで、「希望や幸せを感じたら、とてつもない罰が下る」という呪いにかかっているかのように、永遠に懺悔を続けることしかできない日本の現在地を見ているような映画でした。
私から見ると、1945年8月15日に昭和天皇が極めて迅速に終戦を決断したことは、非常に優れたリーダーシップだったと思います。
今のロシア・ウクライナ戦争や中東の戦争を見ても、終戦を実現することがどれほど難しいかは明らかです。
そのことを考えると、8月6日と9日に原爆が投下され、8月15日に終戦が宣言されたという事実そのものが、どれほど大きな決断力を伴うリーダーシップであり、またフォローシップであったのかを考えさせられます。
私は、このことこそ共同体日本文明のプライドであり、誇りであり、自信につながるべきものだと思っています。
私は、昭和天皇のリーダーシップは、ただの飾りのリーダーではなかったと思っています。
植民地争奪戦の時代。食うか食われるかの戦争の時代。アジア全体が西洋によって植民地化されていく時代に、日本は自ら近代化に成功し、「アジアの近代化はアジア式でやりたい」と考えました。西洋の帝国主義とは異なる日本式帝国主義を掲げながら、アジアの近代化に責任を取ろうとした戦争時代の日本。植民地争奪戦の時代における日本のポジションです。
もちろん、日本も戦争の主体の一つでした。そして昭和天皇は、自ら戦争のすべての責任を引き受けました。万人の命が大事であり、自らの命はどうでもいい。その心でいち早く終戦を決断した。その素晴らしいリーダーシップを、日本は十分に明らかにしていません。
戦争を始めた責任の重さだけにフォーカスし、「二度と戦争ができない日本になる」という昭和天皇の永遠の終戦のリーダーシップ、その素晴らしさを十分に語らない。日本の誇りであり、人類の宝にもなり得るものなのに、それを強調せず、「戦争の責任は天皇ではない」ということばかりを強調する。その日本の現在地ともつながる映画でした。
この姿勢は、本当に昭和天皇のリーダーシップを積極的に伝えることではなく、天皇を飾りの存在にしてしまいます。私の目には、日本精神の深さに対する自信がない人たちが、ただ天皇を崇拝するところで止まっているように見えます。そして、それこそが日本の未来を開いていかない最大の敵だと深く感じています。
昭和天皇が勇気あるリーダーであったことは間違いありません。
戦争の責任を天皇ご自身がすべて受け止め、終戦という大勝負に出たことを否定し、東條英機に責任があるかのように責任転嫁したこと。それがアメリカの対日支配の目的と意図であったことを、明確に知る必要があると思います。
昭和天皇は、一日で東京の三分の一が焼失し、四人に一人が被害を受けた東京大空襲を見ました。その上で広島・長崎への原爆投下を目の当たりにし、「二度と戦争ができない個人、戦争ができない共同体になるべきだ」と決断しました。その決断と覚悟があったからこそ、あれほどのスピードで終戦が実現したのです。
昭和天皇の一言によって七百万の軍隊が銃を下ろし、アメリカを恨まず、復讐しようとする心を持たない日本へと導いた。本物の終戦、永遠の終戦です。その決断の意味と価値を十分に受け止めていないことこそが、近代史を卒業できない今の日本の現在地だと思います。
戦争責任者が誰もいないというギャグのような日本になっています。しかし私は、永遠の終戦を成し遂げたことで、昭和天皇は十分に戦争責任を果たしたと認めています。
核兵器の連鎖による世界人類の全滅の危機を止めたリーダーシップによって、昭和天皇の戦争責任は十分に果たされ、むしろ世界人類から感謝されるべきリーダーシップを発揮したと、世界の人々から認められるべきだと思います。
私は、人類の歴史の中で、人間の尊厳を最も感じさせる唯一無二の歴史的出来事は、1945年8月15日の昭和天皇による永遠の終戦宣言だと感じています。
人間が使う言語は戦争の言語です。存在を動かす言語は、七万年前に原始人が動物と戦い、他の共同体と戦うために作られた言語です。その言語を使う限り、人間は終わりなき鬱、自殺、殺人、戦争を繰り返します。
最先端の知識を得て、最高の知性が集まり、最終的に人類が生み出したものが核爆弾でした。そして核爆弾によって何十万人もの仲間が死に、生き残った人たちが一生苦しむことを知りながらも、勝利の祝杯をあげる。それができてしまうのが人間です。
このような野蛮な文明を終わらせることができるのか。その野蛮な文明を終わらせるための涙の決断と覚悟。それが1945年8月15日の昭和天皇による永遠の終戦であったと思います。
人間は動物と戦い、人間自身もまた動物です。そして神を生み出し、神を崇拝する。動物にはできないことをする存在です。さらに人間は神そのものになったかのように、共同体と共同体で戦争をしてきました。
これからAI時代になります。人間は神さえも道具として活用できる新人類になれるのでしょうか。人間一人ひとりが神も仏も道具として使いながら生きる。その人間宣言。そのような意味が昭和天皇の人間宣言の中に隠れているように私は感じます。
二度と戦争ができない一人ひとりの人間、二度と戦争ができない共同体になるために全身全霊で走り切りたい。その心こそが昭和天皇の心だと私は深く感じています。だからこそ、日本には昭和神宮が必要だと思います。
永遠の終戦、愛の時代、平和の時代は夢物語ではなく、必ず具現化できると信じています。
AIドローンが人を殺すウクライナ・ロシア戦争を見ながら、AIの指示によってアメリカがイランを空爆する現実を見ながら、そして東京大空襲や広島・長崎への原爆投下を見ながら、本当に人間は真理そのもの、愛そのもの、平和そのものになれるのか。人間は本当に動物を卒業し、AIを卒業し、一人ひとりが聖人になれるのか。
私はなれると確信しています。
そのために、共同体日本文明の涙があります。懺悔を続けている日本の涙があります。リーダーを信頼して燃え上がることさえ不安や恐怖を感じてしまう共同体日本文明の深い傷があります。
私は、この共同体日本文明の痛みや恐怖を根こそぎ取り除く愛の言語として、完全学問「ネシエンス学」を31年かけて体系化することに成功しました。
31年前、人間として生きる道が見えなかったどん底の私を救ってくれた日本の仲間たち。そして共同体日本文明の涙に感謝しています。
日本の福岡で純度100%の心の動きと出会ったとき、共同体日本文明のアモール・ファティ、共同体日本文明の運命愛を共に感じました。
日本のリベンジとは、アメリカを打ち負かし苦しめることではありません。
人間一人ひとりがどれほど尊い存在なのかを示し、世界80億人を聖人へと導きながら、暴力や財力から完全に自由になれるAI時代の人間尊厳文明のモデル国家になることです。
日本はAI時代において、国家・民族・宗教・イデオロギーを超え、どんな共同体も真似したくなる尊厳共同体になれる。そして教育チャンピオン日本の時代を始められると確信しています。
『開戦前夜』という映画は、映画として楽しめればよいと思います。
しかし、戦争の時代において戦争をすること自体が恥だったわけではありません。
その時代の勝ち負けよりも重要なのは、どのような未来の物語へとつながる物語を残したのかということです。
その観点から見るなら、日本の近代史は美しく、偉大な歴史だと思います。
負ける可能性が高くても、その因果論理を超えて勝負できる共同体日本文明。AIの数字やデータを超え、人間尊厳時代を切り開く、人間の最も深い純度100%の心の価値を無限に持っていること。それこそが共同体日本文明の価値だと思います。
多くの日本の皆さんにそれを知ってほしい。
その思いでこの映画の感想を書きました。
核爆弾の連鎖を止めた永遠の終戦を決断した日本は教育チャンピオンになれる明確なポジションを獲得していることは間違いありません。
軍事戦争や経済戦争の時代を終わらせ、本物の教育戦争の時代へ。どの共同体が人間一人ひとりの尊厳を最も早く花開かせることができるのか。その教育の戦いこそが愛と平和の時代であることは間違いありません。
生死を超える文化、知る世界から自由になれる文化を無限に育んできた共同体日本文明は、人類の宝です。
共同体日本文明がAI時代の80億人類を尊厳文明のワンワールドへ導く雪だるまの核になることは間違いありません。
映画『開戦前夜』が、古い日本の服を脱ぐための道具になれたらいいなと深く感じました。