2019.10.27 令和哲学シリーズ

【令和哲学29】道具を開発開拓する時代から、道具を開発する主体を開発開拓する時代に大反転させていく令和哲学

人間の歴史は、「道具開発の歴史だ」と言うこともできます。

人間が道具を使うということは、「道具を活用・応用する主体」と「道具そのもの(対象)」との1:1の対称性の“出会い”により、その時代の文化文明が決定されるということを意味するからです

 

このことを戦場での歩兵と騎兵隊で喩えてみましょう。

機関銃の発明以前の人類は、歩兵が持っている弓矢や槍・単発銃を、馬のスピードで騎兵隊が圧倒しました。

ところが機関銃が誕生することで、騎兵隊の馬のスピードに依存する戦いでは負けるようになります。

そして機関銃に負けた騎兵隊の馬が、空の飛行機に代わることで、歩兵の機関銃を制圧しました。

しかし、その飛行機もレーダーが装着されたミサイルという「道具」の登場により、飛行機も使えなくなります。

このように、どんどん道具が進化発展している歴史の中で、現代は、人間の判断能力をはるかに超えるAI(人工知能)をも登場させている状態です。

 

「道具」の究極の発展の歴史は、いったいどんな終わりを迎えるのでしょうか?

現代は、核爆弾からAI(人工知能)まで開発され、特に5Gの開発を通してIoT: Internet of Things(事物のインターネット)の時代が始まっている状態です。

IoTの次はIoE:Internet of Everything(万物のインターネット)の時代が到来すると言われています。IoEの時代は、宇宙全体をコンピューター画面として認識することができる「宇宙コンピューター」の時代でもあります。この宇宙コンピューターを作動させることは、心の秘密をマスターすることで可能になるため、IoEの時代は、「心の時代」でもあるといえるでしょう。

このIoEの時代=心の時代に、一番強烈な道具は「絶対世界」「心そのもの」であり、そのイメージ不可能な「絶対世界」「心そのもの」を道具にすることで、イメージ可能なすべての世界も道具にすることができます。

原因・過程・結果・道具・手段・目的、それらすべてが一つに溶ける絶対世界が道具になるのがIoEの時代です。

絶対世界は道具にもなりますが、道具を使う主体でもあります。 

人間が絶対世界を認識できた瞬間、絶対世界は道具であると同時に、その道具を開発した主体(“この体が自分だ”と思う人間。以下「体人間」という)も道具になってしまうのです。つまり、道具を開発する主体と、開発された結果物である道具、この2つの境界線が消えてしまいます。それはもはや、境界線のない心の時代です。

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ここでもう一つ、わかりやすい比喩をしてみましょう。

 

主人を見て尻尾を振る犬がいます。

「なぜ犬は尻尾を振るのでしょうか?」 

こんな質問に何と答えますか?

 

犬が尻尾を振る理由は、冗談のように聞こえるかもしれませんが

「尻尾が犬を振ることができないから」です。

犬の体全体が尻尾を振ることはできますが、犬の一部分である尻尾が犬の体全体を動かすことは無理です。

何を言いたいのかというと、犬は尻尾を道具に使うことはできますが、尻尾は犬を道具に使うことは不可能だということです。

道具を使う主体そのものが道具になってしまい、今までまったく出会ったことのない、存在したことのない、イメージしたことのない、まったく新しい素材が、今まで道具を開発した主体そのものを「道具」にしてしまう、次元上昇が起きる時代になる、と令和哲学では解析しています。

nTechエヌテックを学んでいる方の中には、nTechを現実で使いにくいと言う方もいらっしゃいます。そう思われる方は、実は、尻尾が犬を道具として使おうとするような難しいこと、というよりは、むしろ不可能に近いことをしているようなものです。

nTechエヌテックを現実で使うためには、まず「この現実が錯覚であること」、「時間・空間・存在・エネルギーも無いこと」、「存在=無本質であることを認識すること」が必要なのです。

だから“この体が自分だ”と思う体人間のままでは、「源泉的動きそのもの」を100%の機能を発揮できる道具として使うことはできません。これが絶対真実なのです。

しかし、体人間のままで「源泉的動き」のイメージを活用する時は、(すなわち99%くらい理解しているレベルでは)、「源泉的動き」のイメージは平和思想、平和哲学だと呼べます。この平和思想や平和哲学が可能になったのは、体人間が「源泉的動き」をイメージできてしまったからです。これは思想哲学、イデオロギー、信念のレベルに過ぎないため、ビジョン戦争や価値戦争が起きるレベルなのです。

令和状態になるためには、この平和思想、哲学、イデオロギーを超える必要があります。“人間の体がある”ままでの源泉的動きの活用応用は、令和感覚・令和状態ではないことを意味します。ビジョン戦争や価値戦争が起きない、〇✕もない、因果の判断が不可能な状態を、令和状態と呼んでいます。

すなわち、戦争不可能な状態が”令和”なのです。

時間・空間・存在・エネルギーもない心人間になれば、今まで道具を開発してきた体人間と体人間世界すべてを道具にすることができるのです。これをnTechでは、PC(Personal computerパーソナルコンピューター)に対しPU(Personal Universe、パーソナルユニバース)と呼んでいます。

心の時代は、人間と人間が認識している宇宙すべて、模様・形すべての世界を道具に使うことができる時代です。

開発した道具を活用する主体自体が、道具になってしまうのです。これまでの道具開発の歴史が、主体自体の開発の歴史に大反転が起きるのが、心の時代の特徴であり、令和元年こそ、その文明の大転換期であることは間違いありません。

戦争が前提の“平和”の時代から、戦争不可能な“令和”の時代の日本のリーダーシップに、nTechが貢献できたら幸いです。

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